しょうだいブログ

玄米を食べたある日、これって当たり前じゃないんだと気づいた話。

どうも、しょうだいです。

僕お米が大好きで、子どものころから朝ごはんはご飯派でした。

幼少期は玄米、中学、高校生、大学生あたりになると白米、そして大学卒業後からは玄米をメインで食べています。

玄米の方がミネラルや食物繊維が豊富なことから栄養価が高いとされています。実際そういった側面はありますし、僕自身も大学卒業後玄米に変えたのはこの理由からです。

しかし、今は違います。

単純に玄米が大好きなんですよね。

そんな大好きな玄米で、最近これ当たり前だと思っていたけど実はめちゃくちゃありがたいことなんじゃね?と感じたことを話していきます。

玄米を食べたいから玄米を食べる

世の中は白米を食べている割合が体感9割くらいです。実際はもう少し玄米派、雑穀米派、オートミール派等色々存在するかとは思います。

僕の経験上、白米を食べる人は白米だけで食べるパターンは100人いたら1人いるかいないかだと思っています。

基本的には白米を食べるためにおかずを用意したり、海苔の佃煮みたいなお米のための調味料を加えたりしますよね。

そうでもしないと飽きます。なぜなら味が単調だから。

白米って甘いじゃないですか。甘い以外の要素って、あるんだけど感じにくい。

だから何かしら塩や味噌などで味付けをします。

これって僕からしたら白米を食べるために調味料やおかずを用意しているようには見えなくて。むしろ調味料やおかずを食べるために、その塩味や味の強さを軽減するために、白米を用意するみたいな、そんな雰囲気さえ感じるのです。

もちろん良いですよ、それでも。

でも玄米はもっとスゴイんです。

玄米は、玄米を食べるためだけに玄米を用意したいと思える満足感を持っています。

白米みたいに少し噛んでゴクンと飲み込めるような気持ちの良さは無いです。

無いんですが、それと引き換えに複雑な味わいと旨味があります。

炊き立ての乳酸菌の香り、全く嫌に感じない米ぬかの香り、噛んだときのジュワッと広がる甘みと旨味、噛めば噛むほど旨味が広がるのに意外とすぐになくなってしまう切なさ。

白米では感じることの出来ない素晴らしい感覚の数々。

こんな感覚に出会えるなんて、自分はなんて幸せ者だろうかと最近気づいたのです。

健康に投資したおかげ

でもこれって玄米を最初に食べていた幼少期では正直感じられた記憶はありません。

幼少期は何か少し食べにくいお米だなーくらいの感触でした。

そして大学卒業後に再び玄米を取り入れ始めた頃、今感じているほどの幸せと感動までは感じられなかったです。

ではなぜこのタイミングで感じられるようになったのか?

僕は健康に投資してきたからだと自信を持って言えます。

実は僕、お酒がめちゃくちゃ好きなんです。それこそテイスティングするくらい。

テイスティングというのは、このお酒は柑橘系の香りがするな、とか余韻が長くて冬に飲みたくなるような味わいだな、とかそのお酒の風味を分析することです。

これを何年もやっているわけなんです。味覚の経験や知識が増えたのはもちろんあります。が、体感としてあるのは健康に投資することで圧倒的に味覚・嗅覚が研ぎ澄まされています。

例えば、オレンジとみかんの味わいの違いってわかりますか?

これ、意外と難しいし感じ方に個人差あると思うんですけど、オレンジは酸味がしっかりあり、皮の青っぽい香りが少し強いです。対してみかんは甘みが強く、酸味苦味はオレンジに比べると控えめ。

こんな感じで結構違います。

これ、本当に健康に投資し始めた当初は全然わからなかったんですけど、今ではスラスラと言えてしまうくらいハッキリと区別できるようになりました。

話を玄米に戻しますね。このように味覚・嗅覚が研ぎ澄まされたことで玄米の魅力を十二分に感じられるようになったのではないかと。

今の状態で白米を食べてもめちゃくちゃおいしく感じられると思います。

こんな状態、めちゃくちゃ魅力的じゃないですか?

ちょっと飛躍するかもなんですが、これって災害に遭っても少しのご飯、素朴な味わいで充分幸せだと感じることが出来ることにつながると思うんです。

つまり、大変な状況でも心の健康を保つことが出来る。

心の健康を保つことが出来れば周りを助けたり、協力する余裕すらできるようになると思うんです。

だから味覚・嗅覚を研ぎ澄ますこと=健康に投資すること

が自分のためにもなるし、最終的には社会貢献にもなるんだなと感じています。