人生初おでん列車。おでん列車が人生を教えてくれた。
どうも、しょうだいです。
先日、列車の中でおでんを食べながらビールをジョッキで飲むという、なんとも背徳感たっぷりなイベントに参加してきました。
列車の中で缶のお酒を飲んだことのある人はいるかと思いますが、まさかジョッキで飲んだことがある人は超少数派ではないでしょうか。
ジョッキがめちゃくちゃキレイに洗ってあって感激。
この黄金色がキレイに淀みなく映っているのがまさしくキレイにジョッキが洗われている証拠ですね。
窓の外は田園風景が広がっていて、奥の山まで遮るものがなにもない、自然豊かな場所でしたよ。
こののどかな町で、良い大人がガハハと大声で笑いながら美女の歌声を聴いていて、みんな幸せそうでした。
僕ももちろんその時間がすごく幸せで、「あぁ、こういう時間、すごく幸せだなぁ…」と心がじんわりと温かくなりました。
ふと思い返してみると、この感覚、普段から満たされた気持ちで過ごせていないと感じられないのでは?と思ったので、今この記事を書いています。
正確には、同じように感じられるだろうが、そのレベルは雲泥の差になるのではないかなと考えています。
というのも、仕事でも同じ仕事をやるのにワクワクしながらやる人もいますし、あーだるいなーって思いながらやる人もいますよね。
同じように、たとえ同じおでん列車に乗っても、僕みたいに「幸せだなぁ…」としみじみふける人もいれば、ビールとおでん最高!はっちゃけたいぜ!という人もいるはずです。
これは人によるだろ!と言われたらまぁそれはそうなんだが…と言わざるを得ない部分も多々ありますが、僕は勇気をもって前者の感じ方になれるよう目指した方が良いといいます。
なぜなら、後者は消費することが目的であり、幸せになっていて、何度も調達しなければいけない短期的で快楽を求めているのですが、前者は「こういった場面」に対して幸せだと感じ、場面は消費を必要とはしないので、ただそこに実現されている状態であればよく、長期的な快楽を求めている状態だからです。
短期的な快楽とは、それを得ればすぐになくなってしまうが、かなり強烈な快楽。
長期的な快楽とは、すぐにはなくならず、それが終わっても持続するが、瞬間の威力は低い快楽。
現に今この記事を書いている時ではおでん列車に乗ってからかなりの時間がたっていますが、いまだに昨日のことのように思い出せるのです。
そして気持ちも温かい。
こんな日常を過ごせたらよいなぁと自分の将来の幸せを具体的に考えられるようになるので、内から湧き上がる持続するモチベーションがあふれ続けるんですね。
短期的な快楽だと、それを得ている時間だけ幸せであり、それが終わってしまうとその幸せな気持ちはなくなってしまい、ある一定期間を超えると急に渇望し始めて仕方なくなるのです。
…これ、世の中で悪とされているもので同じ性質を持ったものがあるのですが、わかりますか?
覚せい剤です。
覚せい剤は強烈な快楽の最上級に位置します。
これは人間の本質的な機能の一つなのですが、一気に上がったらその分一気に下がる性質を持っています。
これを恒常性(ホメオスタシス)と言いますね。
つまり、一気に幸せになると、一気に不幸になります。
人間は不幸の状態を耐えられるようにできていないので、幸福になろうと何か手段を講じます。
覚せい剤の例だと、覚せい剤を取ると一気に幸せになるので、脳が学習してしまい、また覚せい剤を取ろうとするんですね。
こうやって幸せと不幸を行き来するのです。
脳の回路ではそれでよいと考えているのですが、さらに根深い本能の部分、つまり遺伝子の部分が「これではダメだ、つぶれる」と反応するんですね。 (正確には遺伝子が、ではないのですが、わかりやすさ重視です)
ダメだ、とわかっていても今の方が楽であれば、幸せであれば人間は一人では動けないのです。。
これはもう人間として生まれた以上、プログラミングされている事実なので、逃げることはできません。
一方で、長期的な快楽を得ることは、恒常性のおかげでむしろ幸せでありつづけることができるんですね。
長期的な快楽は徐々に時間をかけて得られるので、少し幸せになっても少し不幸になるだけです。
で、幸せの基準は人によって違うので、日常が幸せだと、長期的な快楽を得ることでどうしても得てしまう少しの不幸が来ても、その人の不幸の基準よりも上なのです。
しかし、短期的な快楽では増減幅が大きいので、普段から幸せな人でもめちゃくちゃ不幸になる期間が生まれてしまうんですね。
両者を比べると、長期的な快楽を得る方がこの長い人生圧倒的に良い気がしませんか?
でも短期的な快楽の方が、より幸せの度合いが高い時間を得られることを僕たちは学習してしまっています。
じゃあ、どうするか?
短期的な快楽を求めるのは仕方ないと理解し、長期的な快楽を取る量を増やす
ことしかないです。
そしてその方法の一つが人生の基盤である「心身の健康」なんですね。
「心」が自分のすべての選択を司ります。
「身体」が自分の選択を実現する機械です。
つまり、「心」が健康なだけでも、「身体」が健康なだけでもダメなんですね。
で、「心」が健康になると、自動的に長期的な快楽を得るように人間は作られています。
長期的な快楽を得るように動けていることが「心」が健康であることともいえるかもしれません。
そして、現代社会はこの短期的な快楽を生産しまくっています。
普段食べているものも短期的な快楽を満たすものが多いし、ビジネスになっているものの大半は短期的な快楽を提供するサービスであふれかえっています。
それが良い悪いの話ではないのですが、「僕たちは本当は何を求めて生きているのか?」というのを各個人がしっかり持っていないと方向を間違ってしまうと思うのです。
僕の意見は決まっていますよ。
あなたはいかがでしょうか? ぜひ考えてみてほしいです。